分業化
プレバトの消しゴムはんこをみていたカミさんが「版画は掘る人や刷る人がスゴイ」とつぶやいたのを聞いて、ちょっと一言ネタを発想。
分業(柴刈りと洗濯みたいな役割分担ではなく工業プロセスを切り出しての意味としてなので、「工程的分業」という方がよいかも)といえば、Adam Smithの国富論にあるピン生産の話がはじまりとして有名ですが、あれれ、日本でも分業が成り立ってたんじゃないの?と。
浮世絵での分業は、「版元」「絵師」「彫り師」「刷り師」がそれぞれの専門性を活かして大量生産を実現したことで、結果として国内外での人気を高めることにつながっています。
Adam Smithのピンの事例は、どちらかと言えば量的側面の効率向上(結果的に200倍以上)が狙い、浮世絵は品質側面も踏まえた大量生産(分業による専門性向上・均質化)という感じでしょうか。大きなプロセス変化ですね。
時期的にどうなのかと思ったのですが、国富論は1776年出版、浮世絵は1800年ごろでしょうから若干遅かった。
でもいずれにせよ、課題に向き合ってやり方を変えた人たちは偉い!
分業のデメリットについてはまた後日。