DXとGX
「DXとGXは親和性が高い」と言われます。そうだなとは思いつつ、でもそもそも言葉の定義はどうなのでしょう。
(ちなみに、海外でいうところの「DX」と経産省の「DX」はだいぶ違いがあります。私は経産省DXに近い使い方をしています。さらに加えれば「GX」は日本でしか通用しません。)
企業における業務のデジタル化、既に大きく進んでいるところから、まだ紙ベースだったりするところまで分布しているのだと思います。
このピラミッドの中で、あるポジションからデジタル化をすることで上のポジションに移るということだと考えてみます。
(デジタル化には品質向上や働きやすさもありますが)収益向上を目的と置いて指標は「付加価値/費用」と単純化しましょう。
企業のポジションによって取れる施策は変わります。下に位置するほど、分母側の刈り取りの余地があり、上に位置するほどその余地は減ってくるはずです。つまり上位ほど、分子である付加価値創造につながらなければ投資の意味がありません。
「DX」という言葉、この最上位のポジションがとるべき行動と考える場合と、下位層がデジタル化で何らかの効果を得た場合の両方で使われてしまっていて、それが「DX」という言葉自体の価値を下げている気もしています。
下位に位置する企業にもどんどん取り組んでほしいのは間違い無いので、それを後押しするためにも、単なるデジタル化を「DX」と読んでしまう背景は理解できなくはないけどね。
「仕事のやり方自体が変わる」+「結果としてのアウトプット(とりあえずは分母起因でも)が出ている」
この両方を得ることが、最低限の定義にしてほしいですね。
で、タイトルに戻りますが、「GX」という言葉も同じ状況にならないことを望みます。